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【感想】ザ・プロファイラー 忌野清志郎 ギターにこる子ども カバーズ

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身の上相談 相談者は母

ギターにこる子ども

(親には)反対されましたよ。長いあいだ、ずっと。一緒に生活してきた子供が特にすごいともなんとも思えないわけじゃないですか普通は。
朝日新聞 1969.11.4

18になる私の子供は小さい頃から寝起きのいい方ではありませんでしたが、高3になってからは登校時間になっても起きず、遅刻はしょっちゅう。月に1日は休んでしまいます。学校を休んだ日は一日中寝ております。こんな状態を繰り返していては、心身ともにダメになってしまうのではないかと心配です。
どうしても大学へ行かないのなら高校を出てお勤めをして欲しいと申しますと、お勤めなど嫌だ、ギターのプロになるのだと申します。私どもには何がなんだかわからなくなりました。プロには簡単になれるものでしょうか。学校へ真面目に行かせるにはどうしたらいいでしょうか

朗読は現・磯野フネさん(寺内よりえさん)だろうか。
50年前も今も朝起きず、学校を休む子に対する母の悩みは変わらない。何を隠そう何も隠さず言うが、自分も36年前は朝起きられず不登校気味だった。清志郎さんの場合は単純な昼夜逆転現象。

小林先生(美術で担任・2018年逝去)

親御さんにはね「彼のやりたいようにやらせてみたらどうですか。それでダメだったら彼も諦めて、もう少し地道な事を考えると思いますから」そういうふうなことは言いました。一生のうちに、本当にやりたいものが見つかったら、死に物狂いでやってみるっていうのはいいことだとだよね。うん。

ノートには「これだけは休め」可能な限りの出席日数の計算をしていた※自分もやっときゃよかった
が、意外な計算ミス発覚。小林先生の授業の単位が足りなかった。泣きつかれた先生は、絵を提出すれば特別に単位をあげることに。描いたのは「顔のない音楽会」

やっぱり自分も迷ってたんじゃないかと思うのね。顔を描くと自分の将来が決定されてくるじゃないかって。そういうのを避けた気もする。


忌野清志郎 「サンデージャングル」2

自分の声について

違和感、嫌い

泉谷しげる:自分の声が嫌いってのは共感できますね。ソウルなんですよ。ソウルシンガー。フォークっていうレベルじゃないですよ。ま、演歌に近い。ありゃあ、歌に魅入られたね。歌の奴隷ですよ。音楽の奴隷者ですよ。言葉が大事なんで。彼のライブ、どこで見ても全部声聞こえるんですよ。歌詞がわからないステージはないんですよ。ものすごいこだわってましたね。音楽はねこれまた、歌は地声とは違うんですよ。違う声が出る。だからやるんですよみんな。え?これが俺の声か、こんな出ちゃうのって、驚きなんですよ。どの人だって地声と違うじゃないですか。そこにハマっちゃったらやめられないですよ。


わかってもらえるさ/忌野清志郎 SCREAMING REVUE

エレキギター

仲井戸麗市

ミュージシャンとか肩書きが、どうしても好きになれない。これまでずっと自分は、バンドマンだと思ってきた。バンド以外の形で音楽をやりたいと思ったこともなかった。たどり着いたのがこの音。

転機

「雨あがりの夜空に」への変化

彼女の父親に結婚を反対され「もっと売れなきゃいけない、自分の才能を商品化しなきゃ」髪を切って化粧を施し、オーティスレディングを手本に。

忌野清志郎 雨あがりの夜空に

岡田准一:逃さなかったっていうか。チャンスって、どっかにあった時には、自分でスイッチを入れた瞬間とか、ほんとに商品化してったとき、時代の流れ、世の中もどんどん変わってくるなあとか。逃さない。仲間を見つけるとか全部逃さなかったっていうのが。
泉谷 雨が上がるという意味の。直訳すれば「自分の(中で)降ってた雨が晴れるかのような」という意味も込めてんのかもしれない
岡田 自分に対する応援歌のような

デイドリーム・ビリーバー

カバーズ

両親が亡くなり、育ての母も(3歳で実母を亡くしているので)脳梗塞で6年間入院の後亡くなる。義父も追いかけるように他界。葬儀後、実母のかたみを持って親戚が訪れた。義父が「清志を実の子として育てたいから、見せるな」と言っていたもの。中には実母の写真とスクラップブック。
帰らざる 人とは知れど わがこころ なお待ちわびぬ 夢のまにまに

びっくりしましたね。嬉しかったですね。最初に結婚した人はレイテ島で戦死してしまったんですね。終戦になって、国への恨みつらみが。やっぱり戦争はいけないと思いましたね。戦争で一番傷つくのは一般の人。そういうことはテレビとかで知ってたんですけど、実際にこういうことになってるってのは凄いことだったんですよ。こういうことがなかったら反戦で終わってたんですけど、そういうことがあってからは、歌ってかないとなあって思いました

もう今は 彼女(実母)は どこにもいない

タイマーズ デイドリーム・ビリーバー

泉谷 カバーズ、俺も手伝ったんだけど、ピリピリしてましたよ。現場で仲違いに近いような雰囲気だったし、二人きりになった時に「悪いけど、ファンっていうのはな、新しいものなんか望んでねぇだろ。お前が気まぐれで刺激的なことやったってうるせえだけで、むしろ」って言ったらものすごい剣幕でした「お前は戦争とかそういうものを真剣に考えてないのか!」「いや、真剣とか真剣でないとかの問題でなくて、こんなもの、考えない世の中にしなきゃいけねえんじゃないの」って。

岡田 みんなの反対を押し切って、空気がめちゃくちゃ悪くてって、でもやったっていうのは相当な思いだったんだと

泉谷 そらそうでしょ、そういうもんだと思うのよ。芸術ってどんなにしんどくても、例えばベートーベンが歓喜の歌を作るように別の次元の普遍性を出すことが芸術家のやることであって。だからデイドリーム・ビリーバーはその点普遍性があるじゃないですか。

岡田 一番言えないことを歌っていく、トラウマと向き合ったり苦しいことだったり。自分のお母さんは本当のお母さんじゃないんだ、でも育ててくれたお母さんにも感謝している、とか、そういう消化できない思いを歌っていく、答えのないものをずっと追いかけている、(追いかけ)ざるを得ない。


石井さん 忌野清志郎
カバーズからタイマーズへ、RCも活動休止「失恋した時の気分に似てた」
50歳を過ぎ、自転車へのめり込む。あの感じが蘇ってきた。とにかくみんなで目的地まで行かなくちゃって意識になる。ブレイクしてステージでむちゃくちゃやってるあの感じに似てる。すっかり忘れてたあの感じ

いやあソロシンガーって、さみしいじゃないですか。さみしいと思いません?自分の音楽ができないような気がしませんか?ソロって。