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迷惑メール、料理、テレビ、ラジオメモ。

ボクらの時代 小野伸二X稲本潤一X高原直泰 1979年生まれ黄金世代

高原直泰

3足のわらじ

高原 東京来るときは基本スーツ。沖縄ではかりゆしウェア
稲本 かりゆしウェアてなん
小野 沖縄の正装や
高原 それを着てればどこへでも行ける。挨拶回りとかしてる。監督もやってる。
稲本 スゲエや。意味がわからへん。試合の分析とかもやるてこと?
高原 そう。映像も撮って、パソコンとりこんで。飛行機ん中で映像編集したりして
稲本 編集すんの(笑)
高原 そんなすごい編集できないけど、ある程度時系列でうまくコンパクトにして
小野 そんなことやってんだよ沖縄で。
稲本 コーヒーも作ってんだよ

新幹線通学

高原 東海第一行くの、おやじにはなかなか言えないから。怖くて。怖いんだよ。母親の方に行きたいって、サッカーやりたいって。通ってた。新幹線で。それがなかったら今ない。行かしてくれた両親にも感謝。

小野伸二伝説

10人きょうだい

小野 俺家の周りだもんな。家でずっとひとりでやってたんだよ
高原 リフティングみたいなの
小野 やりたいことやらしてもらってるけど10人きょうだいだから。小学校入るときに指導者が俺を見て、やってみないかって言ってくれて。でも自分の家にお金がないのわかってるから。月謝とか申込書とか自分で書いて持ってったら、ここなんかあるだろうと思ったらしく、その人が俺の家に来てくれて「全部面倒見るから」なかったらサッカーやれてない。俺のリフティング見て「やってみない?」って。練習試合とかやるじゃん、弁当とか作ってくれないから、仕事してるから。銀の丸い箱にご飯と梅干自分でのせて食ってた。みんな仲いいじゃん。小学校一緒だから。でも嫌じゃん。なんか恥ずかしい。飯んときだけ違うところで。

Shinji―世界のONO!小野伸二のすべて!!

Shinji―世界のONO!小野伸二のすべて!!

  • 発売日: 2002/04/01
  • メディア: 単行本
坊が読んでた本

小野さんはFC琉球、稲本さんはSC相模原でプレーを続け、高原さんは2015年、スポーツクラブ沖縄SV設立。オーナー、監督、選手兼任。小野さんと高原さんの出会いは小学5年生。3人の出会いは中2の終わり。U-15。寝坊して田嶋会長に起こされたことも。ヒデさん(中田英寿)は一人だけ違ってた。

挫折

小野 炎が消えかけた。2006年。
高原 オーストラリア戦で、
小野 3点ブチ込まれてからのあの人生。自分自身奮い立たないし、忘れようと思っても忘れられない
高原 あんときはめちゃめちゃだったね
小野 その時に田畑さんに相談したら「マジでやめないほうがいいよ」その人は辞めて後悔したって。そうなんだーって小さな頷きで
高原 響いてなかったんだ
小野 サッカーやってる時は集中してるけど、そのあとぽかーんとした気が抜けた状態だった。あの年が自分の人生一番つまんねーなって

稲本 ないなあ
小野 俺繊細
稲本 もし3点取られても俺のせいじゃないって思う(笑)

若い時よりも日の丸を背負う重責が増してくる。海外に行くのは助っ人って感覚で。出るまでが大変。今はもう高校生で行けるから。環境はJ1のほうがいい←そりゃそう
ここに79年生まれを書いたような
【ふりかえり】1979(昭和54年)アルバム、CM、邦楽、思い出。 - 別館.net.amigo