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シンソウ坂上 長嶋一茂 語録、父茂雄、パニック障害。

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語録(抜粋

足の根本がぐらついてると脳が支えられない。四足歩行から二足歩行になったりして、人間ていうのはリスクがある。立つことによって、血流の循環をより活性化させないといけないから、心臓病が増える。
おふくろの遺言なのよ「貸し借りはするな」って。人に貸し借りを作ると、どっかで精算したくなるのが人間。その作業が面倒くさいの。
AYAちゃんトレーニングは理解せずにやる。今の子ってなんでも理解しないと体が動かないだとか、あるでしょう?言われたらやる。自分でも何やるんだかわからない中やる。

人間てさ、後ろ向きに歩くことないでしょ?(※語録にするようなことですかねbyカズレーザー
冷房ついてる中でトレーニングしちゃダメ。だって、暑い中で何か起きる可能性があるじゃない。有事が。具体的に言えば街中での喧嘩。何が起きるかわかんないよ。この前も刃物持った男が逃げたでしょ。あいつ目の前に来たらどうすんの?子供が隣にいて。そこはもう想定してますよ。当然。当たり前ですよ。
やっぱり原点としてね、俺は人からどう見られるかを考えた時に、おそらく長嶋茂雄の息子として何不自由なく育っている人間だって、第一に絶対来る。そうすると、俺っていう人間が万人から好かれることは100%ありえないし、好かれようと思っても無理だ無駄だってことを6~7年前に思ったんだよ。だから好きなことが言えるようになった。

関根麻里 6~7年前からっておっしゃってますけど、もうちょっと前からあの感じのキャラクターってイメージがあるんですよね。こんな真剣にお話されてるのが新鮮で貴重。

父茂雄のこと

当時の親子関係

しゃべらない、家では。家はリラックスできるところだし。もちろんキャッチボールやってもらった時あるけど、子供ってしつこいじゃん。それやると怒られたの。結局、坂上君の時もそうだけど、高度成長期時代で、家庭顧みないみたいな人でしょ基本的に。金だけ入れときゃいいみたいな人がいたわけだ。おやじもそう。家庭は見ない。スーパースターだから。自分を演出するので精一杯。家庭は母親が守る。そういうもんだお。おやじは野球やり始めてもっと遠い存在になってっちゃったから。

坂上 そんな一茂くんも今はパパじゃないですか、双子の娘さん?

そう。来年高校。(彼氏は?)いや、いない(笑)ちょっ、それ決め付けないで

坂上 自分が父親になって、振り返ってみて、ここおやじに似てるって当然あるんじゃないですか?ないんですか?

父親としては反面になってんの。4きょうだいで両親いて、6人で飯食ったことない。一度もない。もちろん6人で旅行も行ったことないし。俺とおふくろとか、俺と弟ともうひとり、おふくろとか。一度もないから、やっぱり。今の家族だったら、そうね、なるべく一緒にいようという気には。あんまり反感があるわけではない。そういうもんだと思ってるから。だって人んちの家族見られないから。

(ヤクルト入団時)車買おうと思ったときに保証人が要る。うちの親父の名前書いた。そのとき「お前はもう、それはダメだ。おれ保証人なんない」「いや、おれ保証人なんないと車買えないんだけど」それが22歳ぐらいの時かな。親から、保証人もお金の供給も含めて一切一人でやれって。自立。

父から戦力外通告を告げられたとき「え~やだよ~」とは言いたくなかった/会話10秒で終わったって他局でも言ってたような。
さんまの高校時代の写真をもらったのは知らんかった(体育祭で逆走したやつ)恩人なのはどっかで聞いた。

距離感とファミリーの現在

おやじとは、野球やってる時から距離感は出ちゃってる。

坂上 元の親子の距離感に戻ったりしないの?

なかなかいかないんじゃないかな。世間的にああだこうだ揶揄される部分もあるけどし、うわさもあるだろうけど。きょうだいともね、ま、一緒に飯食ったことがなかったりするから。最近だとおふくろの葬式の時。2007年の時以来会ってない。俺も中学高校ぐらいで家出てるし、妹弟も家出てる。そんなに幼少の頃一緒にいた記憶があまりない。接点は相当少なかったような気がする。分からない。そんなこと言ったら単身赴任のお父さんだってそうだろうし。

自分のあのスタンス、性質、性格。親子といえど別人格だし、これでよかったのかなという感覚は、俺の中では今すごくあるよ。そういう(元の親子関係に戻す)作業も必要な時もあるかもしれないけども、今のままでいいって感覚もあって。おやじとの人生の経験で、監督、選手の関係だったこともあるし、一緒に3歳の頃大仁温泉に行って2にんだけでおやじの自主トレ見ててボール拾いやったこともあるし。男として親とのことって、残念ながらだけも、ど墓場まで持ってかなきゃいけないようなこともある。ぎゃくに家族だから甘えてる部分もあるじゃない。解決できないこともあったり。

亡き母へ

2008年公開「ポストマン」

家族の中で最も多くの時間を過ごした
プロ入りの時、母の「監督さんに頼んででも二軍からスタートするべき」助言を無視※そりゃ22歳は若いから。性格にもよるが、なんでもできると思うだろう
2008年公開「ポストマン」母に見せたかった。主演と製作総指揮は一茂。ナガシマ企画で6千万の赤字。
もうかってたからたいして影響ない。なんで映画作ったか、おふくろとの思い出があって。小学校1年の時の学芸会、お袋の顔、俺まだ覚えてる。スゲエ寂しそうな顔してた。「一茂、あたしきょう見にいったんだよ。雪のこんこ。あなたどこに出てたの?」「おふくろ何言ってんだ、俺出てたよ。馬のさ、脚あったじゃん。馬の脚は4本だけど、先生が無理やり6本にしたんだよ。だからおふくろ、おれは6本の足のうち、真ん中の2本なんだよ」スゲエ寂しそうだった。頭のいい子が主役やるって知ってた。自分の息子は脚2本。だから役者の話が来たとき、おふくろを思い出した。いつか主演をやってやろうと。こんなこと言っちゃいけないけど、おふくろのために作ったの。見てもらいたかったの。もしかしたら小1の辛い思いを少しでも払拭できるんじゃないかと、30で考えたの。思い返したくないけど辛い。

なぜハワイへ行くのか

ハワイもおふくろの影響。一番最初が3歳の時。おふくろと二人で。おふくろは中学出て高校からアメリカの高校、大学行ってるわけよ。氷川丸でシアトル着いた。帰りはアンカレッジ経由で。その時の本土の友達がハワイに結構来てて、交流がずっとあったの。

坂上 やっぱり、男はそうだと思うんですけど、どこかマザコン
もちろんマザコンでしょうね。おれはね、男でマザコンじゃない人って、あんまりいないと思ってる。基本的に。息子と母親の関係性って特別。

パニック障害

現在も向き合い続ける

発症は1996年、30歳の時。二軍練習を終え、知人宅で花火大会を見物中、突然体が横揺れする感覚に襲われた。経験したことのない違和感。1週間後、食事中トイレで狭くなったような感覚、呼吸困難。気づくと病院にいた。地方イベントで飛行機に乗ると過呼吸になり、ボールペンを腕に強く押し付けたことも。最も重度だったのは2007年。半年の間にお手伝いさん、おばあちゃん、お母さんを亡くした。悪化させうつ病に。1回6錠薬を飲んでいた。

坂上 気分の問題とか、閉所も?

このころおれ、車とかに乗れなかった。高速道路で何かあったら降りれねーじゃん。新幹線も各駅しか乗れない。新横浜から名古屋までさ、ノンストップ怖くて行けない。鈍行だったら、次なんかあったら降りれる。エレベーターもそう。
父も含めて知らない。俺の病気のこと伝えてないから。

自殺念慮

どこからか「自殺したい」という声が出てくるのだ。(中略)自分の声じゃない。心の内から出た声じゃないのにー 魂が蝕まれたような感覚だった。

生きていく理由もないけど、さしあたって死んでいく理由もない。だったら、まあいいや、だいたいでと、ほどほどにしたたかに、このシビアな現代社会を生き延びていこう
「乗るのが怖い」より

娘さんたちの存在が、死から生へと引き戻してくれた。今では飛行機にも乗れる。

サプリマニア。50種類を自らブレンドして飲む

いわゆる一家団欒にはすごく憧れていた。それは俺にとってテレビドラマの世界にだけ存在するものだった。
「三流」より

三流

三流