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BS朝日 ザ・インタビュー 杉山清貴 サングラスのきっかけ、解散の真相

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生い立ち

アニメソングばかり聴いてる子供だったんですけど、小学5年の時、友達の家に行くとビートルズのレコードがあって。貸してもらって。それからお小遣いつぎ込んで。ジョージ・ハリスンが好きですね。ミュージシャンてかっこいい、あこがれ。音楽以外の生き方、考え方。中学1年でギターの練習。仲間内に声かけて文化祭出て。ビートルズ6~7曲やって。先生に「お前英語の発音いいな」って言われて。そこから何も変わってないですね、生活が。音楽を仕事と思ったこともないですし。趣味がずーっと続いている。だから幸せですよね。

父は警察官、母は三味線の師匠。子供の頃から三味線をやらされていた。厳しかったかというとそうでもない。正座して通知表見せて「勉強してねえな」
音楽に対してはおふくろをかなり受け継いでいるのもありますし、こうと決めたら突き進むのは親父の影響。

デビューまで

高校卒業後、好きなことをやるなら自活しろと父に言われ、ライブハウスでバイト。ここでバンドを結成。のちのオメガトライブ。父は「4年間やって何もなかったら帰って来い。デビューとかそういう話がなかったら1回帰って来い」だんだん期日が近づいてきて「、やばいな~と思いながら。ライブハウスとか見に来てくれた方がデビューの話を持ってきてくれた。「オリジナルを1回捨てて、バンド名も変えて同じメンバーで、こっちが楽曲を提供するからそれでいいか」デビューできるならいいです、って。

オメガトライブ時代

プロデューサーはレコーディングの時から、ニュアンスに厳しく、1日でボーカルが終わらないんですよ。歌詞の伝え方が違う、とか。たとえば「この水が美味しい。お前どこまで美味しいと思って歌ってる?」ぐらい突っ込んでくる。そんなこと考えてないですよまで。当時は何面倒くさい事言ってんだろと思ってたけど、だんだん理解できるようになった。

サングラスのきっかけ、イメージ戦略。

アーティストを写さないジャケット、これが悔しくてね。なんで俺たち写さないんだって。

サングラスは意識しないですねえ。最近は「目が見えたらいいな」と思いまして(笑)デビューした頃はかけてなかったんです。2年目ぐらいにかけだしたんですよ。特に最初は何もなく普通にスッピン、素顔で出てまして。
ある時、85年に歌の番組がありまして、生放送だったんですけど、メイク室でメイクさんに「すいません、目の下のクマが何やっても取れないんですけど、サングラスかなにかかけてもらっていいですか?」と言われたんです。たまたま持ってきたサングラスをかけたんですよね。朝まで飲んでたんです。「メイクじゃ無理です、腫れぼったくて」と。
新曲を歌うんです。頭の中で新曲の歌詞が。歌うときモニターがあって、サングラスをしてるとそれを見ながら歌えることに気がつきまして(笑)こりゃいいわと。それからサングラスです。

デビューしたとき、事務所のプロデューサーが僕らを呼んで「これから取材とか増えると思う。オメガの皆さん、今朝何を食べてきましたか?て聞かれたら、いくらメザシと味噌汁でも、カフェオレとクロワッサンですと言え(笑)。飲み物も焼酎じゃない、カクテルだ。日本酒じゃない、カクテルだ」(笑)一応そのぐらいの気持ちで答えろよ、て。俺たち違うのになって。

サマーサスピション、君のハートはマリンブルー。僕は大好きですね。一番長く歌ってるかな。ソロになっても歌ってる。

君のハートはマリンブルー 杉山清貴&オメガトライブ('85)

解散の真相

85年

楽曲も提供してもらってるんですよ。頂いた楽曲。これ自分達でやってたらもうちょっとがんばろう、ってなるんですけど。別にその、曲がいい悪いじゃなくて、たとえば曲が売れなくなったらどうしよう、自分たちが書いてるんだったらいいけど、自分たちが置いていかれてしまったら、どうなっちゃうのかなって不安があって。最初は「デビューして売れたら好きなことができるよ」周りから言われていたんですけど、売れたらもっとできないんですよ。これに気づいて。曲をいただいていただいて、途中で自分たちのオリジナルに切り替わるんじゃないかと淡い期待をしたけど、売れれば売れるほど思い通りにならないんですよ。やっぱり作りたいよね!ていうか、このままでいいのか俺たち。ステージに立てるし、楽曲もいいの選んでもらえるし、でもこのままでいいのかなって単純なこと。

ツアー中にバンドメンバーと飲みながら話をして。解散に反対する奴もいたんですけど、やっぱり最終的には。
解散はバンド内で勝手に決めたんですよ。誰の大人にも相談せずに。事務所行って「年内で解散します」軽いことを言いまして。でも翌年の春までずっとツアーが組まれてた。「お前らツアーがある」「いやいや年内で解散すると決めました」周りの大人は焦りますし「杉山来い!」言われるほどかたくなになる感じ。結局周りの大人たちを動かしちゃった感じですね。

ソロデビュー

86年

大人の事情というか、会社が「春にはデビューするんだから」「え?」バンド解散させちゃってるし、逆らえないなって。

小松靖 オメガトライブのメンバーにはどんな気持ちで?

いや、結構みんな、解散の話をするときに、これから何をしたいかというのも全部聞いていたし、ギターの高島信二とキーボードの西原俊次は最後まで解散したくないって言ってたんですね。結局カルロス・トシキ&オメガトライブを作って活動始めて。多分社長が、解散と聞いたときに次のボーカルを探したと思うんですよ。ほかのベースのやつもそれぞれ違う道で。またどっかで一緒になるかもしれないと。
相談相手がいない、というのは迷いましたね。いなくなった。そこはちょっとどうしようかと。レコーディング、ライブをするにあたって、どうしてもミュージシャンが必要になりますから。その人たちをバンドメンバーと思ってやっていこうと。僕の中ではバックバンドではなく、バンドメンバー。一緒に音楽をやる仲間。

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